油日岳

Tel:0748-88-2106甲賀市甲賀町油日1042

参拝の方へお願い

団体ツアー等の事業者の方へお願い
年に数回の頻度ですが参拝当日に油日神社でロケが行われている場合があります。
映像等権利関係によりロケ予定日及び予備日を事前に告知することができません。
参拝の折にロケがあるかもしれないという前提でご来社願います。
自由参拝を含む団体の方が神社へ立ち寄られる場合は予め到着予定時間及び滞在時間を電話にてご連絡の上、会社団体名・人数・当日随行のガイド又は責任者の当日連絡のつく携帯番号をFAX(0748-88-2106)して頂きたくお願い申し上げます。
立ち寄り2~3日前のご連絡ですと、神社都合により神職不在であったり、ロケがあった場合は撮影スケジュールの調整ができず、境内に立ち入れないことや参拝できないことがありますのでご注意願います。
ツアー催行予定又は立ち寄り場所検討・策定の段階でもよろしいので目安として2カ月以上前にはお問い合わせ下さい。ツアー催行決定及び中止の場合は決まった時点で改めてお知らせ下さい。

個人で参拝の方へお願い
油日神社を含め周辺地域は観光地化されておりません。近くには櫟野寺(油日神社から1.5㎞)・大鳥神社(櫟野寺から3.6㎞)がありますが、食事処・お土産等は離れたところになりますので、特に電車・タクシー等交通の便を含め事前に下調べをして下さい。
また、年に数回ですが参拝当日に油日神社でロケが行われている場合があります。
映像等権利関係によりロケ予定日及び予備日を事前に告知することができません。
参拝の折にロケがあるかもしれないという前提でご来社願います。
平素は自由に参拝・写真撮影ができますが、ご来社当日にロケが行われている場合は撮影の合間に参拝をご案内しております。但し、撮影状況により数時間立ち入れないこともあり、境内での写真撮影は基本的にできませんのでご理解願います。
以上、ご迷惑をお掛け致しますがご協力賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

令和2年1月20日 油日神社 社務所
 

「甲賀の総社」油日神社

由来
油日神社は、南鈴鹿の霊峰油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称しました。
日本三代実録 にほんさんだいじつろく 』によれば、平安時代の 元慶 がんぎょう 元年(877)に「油日神」が従五位下を授かっており、これ以前から存在することがわかる古社です。古くは油日岳を神体山としたとされ、山頂には今も岳神社がまつられます。

甲賀武士の崇敬
中世になると、一帯に成長した武士の崇敬を集めました。現在の本殿造営のための奉加を記した、 明応 めいおう 4年(1495)の「油日御造営御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵から多くの寄進がみえています。
戦国時代、上甲賀を中心とした武士は、地域の支配・運営のため同名中や郡中惣を構成しますが、油日神社はその拠り所となり、「甲賀の総社」と呼ばれ、信仰圏は広く郡域に及んだとされます。油日祭りのうち5年に一度行われる 頭殿 とうどう 行事(奴振)はその歴史を伝えるもので、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されています。

豊かな文化財と伝承
長い歴史をもつ油日神社は、社殿をはじめとした多くの文化財と、豊かな伝承に彩られます。なかでも室町時代の「油日大明神縁起」に語られる 聖徳太子 しょうとくたいし の活躍は特色あるもので、社宝の「聖徳太子絵伝」や、太子の 本地 ほんじ とされた 如意輪 にょいりん 観音を表した懸仏の存在は、当時は軍神として崇められた太子への甲賀武士の信仰を伝えるものです。

聖徳太子絵伝

※本文提供:甲賀市教育委員会

↑ PAGE TOP