油日岳

Tel:0748-88-2106甲賀市甲賀町油日1042

「甲賀の総社」油日神社

由来
油日神社は、南鈴鹿の霊峰油日岳の麓に鎮座し、明治時代までは「油日大明神」と称しました。
日本三代実録 にほんさんだいじつろく 』によれば、平安時代の 元慶 がんぎょう 元年(877)に「油日神」が従五位下を授かっており、これ以前から存在することがわかる古社です。古くは油日岳を神体山としたとされ、山頂には今も岳神社がまつられます。

甲賀武士の崇敬
中世になると、一帯に成長した武士の崇敬を集めました。現在の本殿造営のための奉加を記した、 明応 めいおう 4年(1495)の「油日御造営御奉加之人数」には、杣谷を中心に190にのぼる武士や寺庵から多くの寄進がみえています。
戦国時代、上甲賀を中心とした武士は、地域の支配・運営のため同名中や郡中惣を構成しますが、油日神社はその拠り所となり、「甲賀の総社」と呼ばれ、信仰圏は広く郡域に及んだとされます。油日祭りのうち5年に一度行われる 頭殿 とうどう 行事(奴振)はその歴史を伝えるもので、境内は「甲賀郡中惣遺跡群」の一つとして国の史跡に指定されています。

豊かな文化財と伝承
長い歴史をもつ油日神社は、社殿をはじめとした多くの文化財と、豊かな伝承に彩られます。なかでも室町時代の「油日大明神縁起」に語られる 聖徳太子 しょうとくたいし の活躍は特色あるもので、社宝の「聖徳太子絵伝」や、太子の 本地 ほんじ とされた 如意輪 にょいりん 観音を表した懸仏の存在は、当時は軍神として崇められた太子への甲賀武士の信仰を伝えるものです。

聖徳太子絵伝

※本文提供:甲賀市教育委員会

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